テクノエッジに新しく入った編集者は何をやってきて、何を考えているのか

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松尾公也

テクノエッジ編集部 シニアエディター / コミュニティストラテジスト @mazzo

特集

9月1日からテクノエッジ編集部に参加しました、松尾公也といいます。

ITmedia NEWSでは、テクノエッジ編集部のメンバーがかつて所属していたエンガジェット日本版の終焉について「驚きはなかったんですよ。正直なところ」とコメントしたのに始まって、エンガジェットの終了からテクノエッジ誕生までの流れを自分が執筆した分、編集担当としてライターさんにお願いした分も含めてなんと8本も記事化していました(小寺信良さんによるIttousai編集長へのインタビュー含む)。

まさかそこに自分が加わるとは予想していませんでしたが、側からは「ミイラ取りがミイラに」とか思われるのでしょうか。

こちらの読者のみなさまにはあまり馴染みがないと思うので、まずは自己紹介から(略歴はこちら)。

初めてコンピュータを買ったのが、初めてできたカノジョに浮かれて卒業を逃した1981年だった(シャープMZ-80K2E)ので、それから41年が経ちます。小文字もまともなグラフィックスも出せない8ビット機でしたが、翌年に発売されたAMDEK CMU-800のおかげで複数のシンセサイザーをコンピュータでコントロールする、この時点ではまだ生まれていないMIDIに繋がる演奏を後に妻となるカノジョとライブでやったりしていました。後にiPhoneやiPadを楽器にして東京ドームをはじめとするさまざまなところで演奏する機会を得たり、妻が永遠に生きるバーチャルシンガーになったりしましたが、その始まりはここでした。

妻が遺した歌声による歌唱合成

就職して最初の媒体では、Apple IIIの立ち上げに失敗したAppleが次世代パソコンのMcIntosh(スペルが違うのに注目)を準備中だという噂記事を翻訳したりしていました。次のAppleイベントで何が出るかという記事が人気を博す昨今とほとんど変わってない気もします。

次には1986年、コンピュータグラフィックスの専門誌PIXELに編集者として参加しました。UNIXワークステーション、Pixar Image Computer、CGプロダクションや研究者への取材もしました。さまざまなレンダリング手法が編み出され、それが現在のゲーム機に応用され、当時は絶対に不可能だったリアルタイムレイトレーシングや数億円かかると言われた(CGとVRの始祖アイヴァン・サザランドの名を関する)Evans & Sutherlandのドライビングシミュレーターも、グランツーリスモ7の流麗なグラフィックスとなってPS5さえなんとか手に入れば誰でも体感できるようになったのにはやはり時代の流れを感じます。

大学生から新社会人にかけては活版で刷られる新聞を媒体とし、次の月刊誌編集部では写植、ソフトバンクに入ってからはDTPで週刊タブロイド、月刊誌でのCD-ROMオーサリング、デイリーのメルマガ、随時更新のWebニュース、個人メディアとしては動画、ポッドキャストと、40年近くにわたってさまざまな媒体を経験してきました。

ソフトバンク>アイティメディア時代については、前職最後のコラムで書いているので興味ある方はご覧ください。
最後に、日本ソフトバンクに出版事業部があった時代について話そう

話が古くなりすぎたので、比較的最近のことについて話しましょう。

2000年代の初めになると、Weblog、ブログが始まります。筆者は個人ブログでFileMakerで1枚のカードに記事を書いてそれをHTMLで書き出し、インデックスを吐き出すスクリプトを組んで日記サイトのようなものを作っていたのですが、Bloggerあたりが出始めて、それをサービス側でやってくれて、しかも金がかからないらしいという話を聞いて、こりゃすげえとなったのを記憶しています。一方で、商業ベースのネットメディアはその仕組みを自分たちで構築しなければならず、たとえば初期のZDNet/Japanでは時代にはCNETも使っているからという評判のCMS(コンテンツマネジメントシステム)を高い金を払って手に入れたものの使い物にならず、自社開発に切り替えるといった試行錯誤がありました。

そんなとき、彗星のように現れたのがエンガジェットだったわけです。ブログのシステムを使えば、表現豊かな記事も煩雑なインデックス作りもできちゃうじゃない、そこに尖った記事を書けるスタッフを用意すれば誰でも簡単にネットメディアが作れちゃうのではないか……。なかなかうまく育たないCMSを横目に羨ましく思っていましたが、当時の内部を知るIttousaiによれば「ブログのシステムをエンジニアと編集部が二人三脚で作って頑張ったのが総体としてEngadget」だそうで、結局はどれだけ本気でメディアのためのシステムを作っていくかという問題だったようです。言われてみれば、Appleイベントで画像とテキストを超高速でリアルタイム更新していくライブブログや、最大レベルの負荷に耐えられるようなサーバシステムの構築が、ブログだったら簡単にできるといったマジックなどあるはずもなく。

それでもインプレス、ITmediaといった古株ネットメディアと並走する形でブログベースの新メディアはたくさん生まれていき、それを包含する形で既存メディアも膨らんでいきます。

そんな中で起きたのが、順風満帆に見えたエンガジェット日本版の閉鎖です。

エンガジェット、TechCrunch日本版の終了を惜しむ 海外メディアの運営って結構大変という話
エンガジェット日本版後継は「テクノコア」 Ittousai編集長で6月立ち上げへ

Ittousai氏の新媒体、「TechnoEdge」に Engadget日本版正統後継目指し、6月中旬立ち上げ

編集を担当していた西田宗千佳さんによるエンガジェット最後の編集長へのインタビューを3回にわたって掲載したり、

Engadget日本版はなぜ終わったのか、最後の編集長・矢崎飛鳥氏に聞く(第1回) 「矢崎Engadget」はいかにして生まれたのか
Engadget日本版はなぜ終わったのか、最後の編集長・矢崎飛鳥氏に聞く(第2回) 終わりは突然やってきた
Engadget日本版はなぜ終わったのか、最後の編集長・矢崎飛鳥氏に聞く(第3回) 編集スタッフの「次のフェーズ」はどうなるのか

テクノコア、テクノエッジ始動を伝えたり、

エンガジェット後継メディア「テクノエッジ」、Ittousai編集長で本日始動

西田さんと同じく筆者が編集を担当していた小寺信良さんは、2006年に、Ittousaiとの出会いを描いたこんな記事を書いています。

「Engadget」って何だ?

実は松尾もこのヒアリングに同席しており、着流しスタイルのIttousaiにやばいものを感じていたのでした。

Engadget日本版の思い出 4つの時代を振り返る

テクノエッジ創刊あたりからまた新興テックニュースサイトが同時多発的に生まれていたのを見て羨望の目で見ていたところ、この件について取材していたテクノエッジ発行人の鷹木創から「このまま一生、砂糖水について書いていくのかい?」と問われて「じゃあやりますよ」と答えてテクノコアへの転職を決め、テクノエッジ編集部に入ったというわけです(脚色あり)。

じゃあこの後はどうするの?という話ですが、Ittousai編集長をはじめとするメディアの求心力をさらに高めつつ、エンガジェットフェスや例大祭で培ったコミュニティ作りを別方面にも伸ばしていくことを考えています。このあたりにポッドキャストbackspace.fmでの経験を生かせたらと。

それでテクノエッジの指し示す未来ってなんだと確認しようと、改めて小寺さんによるIttousai編集長インタビュー記事を見て、ますます混乱してしまったというのが本音ではあります。

Engadgetってなんだったんだ?  Ittousai氏に聞く、これまでと新媒体TechnoEdgeが指し示す先

《松尾公也》
松尾公也

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