新しいHMD(Head Mounted Display)機器が発売されると、話題の中心となるスペックは、映像パネルの種類、解像度、重さ、バッテリー容量、ユーザー位置、コントローラ位置などの各種トラッキング機構などについてが多い。
しかし、最近では接眼レンズをはじめとした、進化著しい光学系に関心が集まることも増えてきた。
そんな最中の2024年2月2日、ついに北米市場にてAppleが「Apple Vision Pro」(以下、AVP)の販売を開始した。
さっそく、各所でAVPの光学系の分析が始まっており、光学系ベンチャーのHyperVisionは、かなり詳しい独自の分析と考察を自社ブログサイトに掲載している。
本コラムの今回は、このXR-HMDを実現するための光学系のうち、もう少しベーシックな、現実世界情景と仮想世界情景を合成する方の光学系にテーマを絞って四方山話をしてみようと思う。
Meta Quest 3やApple Vision Proはビデオシースルー方式
PS5周辺機器として発売されているPSVR2のようなVR-HMDとは違い、XR-HMDとして開発されたHMD端末では、現実世界情景と仮想世界情景(≒CGオブジェクト)の両方をユーザーに提示できる表示システムを搭載しなければならない。
前出のAppleのAVP、そして2023年に発売されたMetaのQuest 3のようなXR-HMDは、利用時のユーザーは、眼前にくる接眼レンズを通して、その奥に配置される映像パネルだけを直視する構造となっているため、ハードウェアとしては一般的なVR-HMDとほぼ同一のデザインとなっているといえる。
▲Apple Vision Proはビデオシースルー方式
つまり、現実世界の情景は、HMD表面上に実装されたカメラで撮影された映像をリアルタイムに、映像パネルに表示して見せることになる。
これが「Video See Through」(ビデオシースルー)方式だ。
ビデオシースルー方式は「肉眼で見れば済む現実世界情景をあえてカメラで撮影して見せる」という点では冗長だが、現実世界情景をコンピュータ側で自在に加工することができるため、現実世界情景の見え方を自在に変えることができるメリットがある。
たとえば現実世界の照明情報をCGオブジェクトに反映したり、仮想世界の照明情報で現実世界オブジェクトをライティングしたりすることも可能となる。
▲写真は、今から15年前。立命館大学の研究グループがSIGGRAPH ASIA 2009で発表していたMR体験「KAIDAN」
▲KAIDAN体験場所となる現実世界の舞台セット。KAIDAN体験者はこの舞台セット情景をビデオシースルーで見ることになるのだが
▲カメラで捉えた現実世界の舞台セット情景はゲーム展開に応じて「おどろおどろしい見映え」にホストPC側でリアルタイムにライティング加工される。さらに、ここにCG亡霊を出現させることで、急激に変貌した現実世界に幽霊が現れたような体験が味わえる…と言う仕組み
あるいは、人間の肉眼では見えるはずのない暗視ビジョンやサーマルビジョンを見せることだってできるし、注視すべきオブジェクトのみをカラーで表示し、それ以外は白黒表示するような視覚拡張的な表現を織り込んだりできるのだ。
難しいのは、カメラの画角や性能に起因して、普段、ユーザーが肉眼で見ている情景の見え方と違って違和感を覚えたり、普段は直視できている現実世界情景が様々な映像処理を経る関係で遅延して見えたりするところに課題を抱えている。
光学シースルー方式の本命は不在か?
ビデオシースルー型とは異なり、現実世界情景を、ほぼ無加工で、そのまま普段通りに人体の肉眼で見せることに重きを置いたXR-HMDでは「Optical See Through」(光学シースルー)方式が採用されることが多い。
この光学シースルー方式の実現技術は、定期的に新技術が提唱されては、それらが短期間に製品採用されていくため、いまだ「これが本命」という技術が定まっていない状況だ。
その中でもヒット商品となったXREALのARグラス製品シリーズに広く採用されたことで、認知度を上げたのが「Birdbath Optics」(水盆光学系) だ。
▲水盆光学系の概念図。図解出典元
上に示した図解は、複雑な光学経路を全て省略してしまっている関係で正確ではないのだが、水盆光学系は、映像パネルが映像する仮想世界情景も、現実世界情景も、幾度もの偏光板やハーフミラーを通して目に届くため、減衰しがちで、映像パネルや現実世界情景からの光をそれぞれ、実測20%程度以下しか通せない。つまり得られる像が暗いということだ。
とはいえ、構造がシンプルで、構成光学部材が安価な分、製造コストを抑えられることから採用しやすい。
なお、水盆光学系の「水盆」とは庭に置かれる、底の浅いお皿状の調度品のこと。英単語のBirdbathは「鳥の水浴び場」を語源とする。水盆光学系の主役とる凹面鏡が水盆に似ていることからこの名が付いたとされる。
水盆光学系は、XREAL製品の他、ODGのARグラス製品全般、LenovoのThinkReality A3でも採用されている。
採用事例の多い光学シースルー方式としては、他に、マイクロソフトのHoloLensシリーズ、MagicLeapの製品シリーズなど名だたるXR-HMDに採用された実績がある「Optical Waveguide Optics」(光導波路光学系)もある。
▲光導波路光学系の概念図。図解出典元
光導波路光学系では、映像パネルが表示する仮想世界情景を、平面導光板を通して低損失に眼前まで移動させ、これを眼前で眼球方向に射出する仕組みとなっている。光導波路光学系で用いられる導光板は、ホログラフィック回折格子を埋め込んでいることから、特にホログラフィック平面導光板(Holographic Planar Waveguides)と呼ばれることもある。
映像の導光板への入力箇所と、平面導光板から眼球方向への映像の射出箇所には、特定波長の光(通常は映像パネルが出射する赤緑青の波長に設定)、特定角度の入射光を、選択的に回折させたり、透過させたり出来る光学素子「ホログラフィック回折格子」(Holographic Diffractive Grating:HDG)を活用するのがこの方式のコア技術となっている。
ホログラフィック回折格子とは、二酸化ケイ素などを主成分とした透明材質で出来たフィルムのようなもの。その表面に超微細なトゲトゲ(Surface Relief)が形成されている
▲ホログラフィック回折格子の「Surface Relief」部の顕微鏡写真。写真引用元
▲実際の光導波路光学系ではこんなイメージで実装されている。図版引用元
高度な光学設計と製造技術が必要となるため開発/製造コストは高め。また、出射側HDGから発せられる光は、眼球の瞳孔をピンポイントに狙った光学系(事実上の網膜投射)となるため、仮想世界情景の視野角が狭くなる課題もある。視野角を広く取るには、出射光側のHDGを、複数方向に出射するような設計とすれば、出射映像を拡大することは可能。しかし、拡大率に比例して映像は暗くなるのはプロジェクターなどと同じだ。
いずれにせよ、光導波路光学系は、眼前にくることになるHDG自体も透明材質であるため、その向こうに広がる現実世界情景を明るく見られるというメリットがある。
新提案のPinTILT方式はどうなりそう?
今回のCES 2024で、業界関係者達から注目を集めていたのが、韓国のLetinARが披露していた新しい光学シースルー技術「PinTILT」だ。
この技術、いわば水盆光学系と光導波路光学系の「いいとこ取り」をしたようなユニークな構造で興味深い。
▲PinTILT光学系の概念図
映像パネルに表示された映像を平面導光板に入力するところは光導波路光学系とよく似ているが、HDGは使用しない。
導光板を伝わった映像は、一度、導光板内壁で反射して、眼前を通り過ぎ、導光板の下部に仕込まれた凹面鏡へと到達。水盆光学系にも似たこの凹面鏡は映像光を反射するが、その反射先は、水盆光学系とは異なり、ユーザーの眼球方向とせず、もう一度、導光板内を反射させて、接眼側に実装された微細な反射鏡「PinMR」へと導く。
映像光は、凹面鏡での反射位置に対応した、マトリックス状に並んだ各々の「PinMR」にて反射して眼球側へ向かっていく。
こうして眼球は、凹面鏡の湾曲率や「PinMR」の反射角に応じた拡大率の映像を見ることになる。
CG映像も現実世界情景も偏光板やハーフミラーを介さないため、非常に明るく見ることできるのがこの方式の最大の特徴となる。
ユーザーの眼球が見る現実世界情景は、微細な反射鏡「PinMR」によって一部遮蔽されることになるがその影響は小さい。たとえば金網越しにスポーツ観戦をした場合、目の焦点がグラウンド側に合っている場合、金網はほぼ見えなくなる。眼前2cm前後にくるPinMRに焦点距離を合わせない限りは、その存在が目障りになることはないだろう。
▲LetinARが開発したPinTILT技術採用の試作ARグラス
▲シャープのブースで披露されていたシャープ製ARグラス試作機。早くもシャープが採用を決定するなど、XR業界から大きな注目を集めている新光学系「PinTILT」方式。今後の展開やいかに?
接眼レンズも薄く、構造的にもシンプルで、HDGを用いないことから製造コストも低く抑えられるのも本方式の美点となる。
今のところ、量産品のPinTILT光学系の画角は45度程度なので、CG映像の画角は、初代に比べて画角が2倍近く広げられたHoloLens 2と同程度といったところ。
今のところ、90度近い画角を実現しているビデオシースルー方式には及ばないが、それは現状、PinTILTのレンズの大きさを一般的なメガネサイズに制限しているため。
このレンズを、光路拡大のために浜崎あゆみご愛用のデカ丸眼鏡くらいにしたり、あるいはPinMR部の凹面鏡を大型化するために、コントに出てくるガリ勉君のメガネのようにレンズの厚みを分厚くすれば、画角の拡大はできそうな感じはする。
実際に顧客のためにカスタムメイドする際には、必要な画角に合わせ、「レンズの大きさ」と「レンズの分厚さ」をいい具合にチューニングすることになるのだろう。
次年度以降、採用が始まるかどうか注目である。
しまった。2回連続でマジメなネタを書いてしまった。次回あたりはもっと、コラムっぽいネタにしたいと思っている。ではまた。