米ボストン大学の研究チームが、高齢者の脳に微弱な電気刺激を加えると記憶力が向上し、刺激を加えている間だけでなく、1か月ほども認知能力が改善する効果がみられたとの研究結果を発表しました。
研究チームを率いるボストン大学の神経科学者ロブ・ラインハート氏は認知、注意、記憶などの機能に関する脳内ネットワークの研究を通じ、それらの機能が加齢や何らかの障害を経てどのように低下していくのかを調べています。
脳細胞は、電気的なパルス信号を利用して互いにコミュニケーションをとっています。脳のネットワークはそれぞれの領域で独自の電気パルスがあり、そのネットワークに(微弱な)電気刺激を加えると、ネットワークの働きに変化が起こり、脳の領域と領域の間の結合が強固になる可能性があることが近年の研究で示されています。
そこでラインハート氏らは脳に微弱なパルス電流を加えると、記憶力が向上するのかどうかを調べるため、経頭蓋交流刺激(tACS)と呼ばれる手法を用いて実験しました。tACSでは、メッシュ状の帽子の内側に無数に取り付けた電極から、頭蓋骨に弱い電気パルスを流して実験を行います。ラインハート氏によると、tACSは脳を刺激するというよりも脳を調節する方が正しいとしており「非侵襲的かつ安全な、非常に弱い交流電流」を使ったとのこと。
一般に、脳の前部にある前頭前野の一部は長期記憶に関係する部分で、後部にある下頭頂葉は短期記憶に関係するとされています。実験では、こうした脳のより狭い特定の領域にターゲットを絞れるよう、解像度の高いtACSを使用しました。また、脳の領域はそれぞれに特徴的な電気的活動パターン、つまり脳波があり、最初の実験では、それぞれの領域の自然なリズムに合わせ、前頭前野には高周波数の、下頭頂葉には低周波数のパルスを使用しました。実験セッションは1回20分間で、これを4日間実施しました。
実験は65~88歳のボランティア60人を対象に3グループに分けて行われ、参加者はそれぞれが20種類の単語のリストを読み、あとで何が書かれていたかを思い出すという1回20分の課題が出されました。そして、3つに分けたグループのうちひとつは、課題の最中に参加者の前頭前野に電気刺激を与え、別のグループでは下頭頂葉に電気刺激を加えました。最後のグループには、電極の付いた帽子こそ被らせたものの、電気刺激は与えられませんでした。
すると、実験が終わる頃には、脳に刺激を加えたグループでは記憶力のパフォーマンスが50~65%も向上する結果がみられました。しかも、研究を始める前の状態では認知機能が低かった人のほうが顕著に効果が現れたとのことです。ラインハート氏はこの傾向は、将来アルツハイマー病やその他の認知症の対策に電気刺激が役立つかもしれないことを示していると述べています。
研究チームは、電気刺激の種類を脳の前部に低周波、後部に高周波と切り替えてみたものの、この場合は短期記憶にも長期記憶にも効果が出なかったとしています。やはり、脳波の種類が一致しなければ、その領域の活性化にはつながらない様子です。
研究チームは実験から1か月後までの効果の持続を確認しただけであり、その後永続的に効果が続くのかはわかりません。また記憶力といっても、単語を覚える能力は向上したものの、それ以外の事柄に関する記憶力が向上したかどうか、生活そのものに何らかの変化が現れたかなどは今回の実験からはわかりません。
単語だけでなくあらゆるものごとに関する記憶力が向上するのであれば、たとえば、世の中の受験生たちはみなこの電気刺激を試してみたいと思うことでしょう。しかし、英サリー大学の認知神経科学者ロイ・コーエン・カドッシュ氏は「この実験の効果は特殊なもので、記憶力を向上させたいと思う人すべてに役立つものではない」と述べています。たとえば脳トレゲームはプレイした人の認知力を高めると謳っているものの、数年前のある研究では、実際には脳の認知力ではなく、ゲームの腕前が上がるだけとの結果が発表されていました。「何らかの試験勉強に電気刺激を使用するにしても、試験のために物事を覚えたい人は、読んだことの最初と最後だけを覚えるのでなく、すべてを覚えておく必要がある」とカドッシュ氏は述べています。
一方でラインハート氏は異なる考えを示し「もし一般的に認知の何らかの側面に関与している脳ネットワークを適切に刺激しているのなら、その効果が現れる可能性があると思われる」と述べています。
ただ、実験では認知力が低下している人ほど顕著な効果があるという実験なので、年齢的にも認知力に問題がなさそうな受験生がこれをやっても、期待した効果は出ないかもしれません。