「Alto」50周年イベントに参加した(前編)。Xerox PARCが蒔いた現在のコンピュータの種

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五島正浩

シリコンバレーのIT企業でエンジニアとして働きながら、最新のシリコンバレーの話題を紹介しています。

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シリコンバレーでは多くのイノベーションが生み出され世界を変えてきたと言われますが、コンピュータの歴史を振り返ると、Xerox PARC (Palo Alto Research Center) の存在が大きな影響を与えてきたことは間違いないでしょう。

PARCはXerox傘下の研究開発機関として1970年にシリコンバレーに設立されました。コンピュータ、ネットワーク、デジタル化技術などの研究開発を通じて未来のオフィスを創り出すこと目的としていました。特に、Alan KayのDynabook構想に基づき、パーソナルコンピュータの実現が進められたことで知られています。

今では当たり前のGUIやそれに必要となるモニターやマウスなどが開発され、Smalltalkを搭載したAltoと呼ばれるコンピュータによって具体化されました。当時は革新的なもので、のちにAppleのLisaやMacintosh、MicrosoftのWindowsの誕生に大きな影響を与えています。

このAltoが登場したのが1973年なので、今年は50周年にあたります。4月26日にマウンテンビューのComputer History Museumで記念イベント「THE LEGENDARY ALTO AND RESEARCH AT THE EDGE」が開催されました。今回はこの様子をレポートします。

シリコンバレーにあるPARCオフィス

このイベントの2日前の4月24日、XeroxはPARCをSRI Internationalに寄贈することを発表しました。SRIはスタンフォード大学を起源に持つ非営利の研究機関で、これまで長い間PARCと同様にシリコンバレーで数々のコンピュータのコア技術の研究開発をしてきました。例えばAppleのSiriは元々SRIで開発された技術で、2010年にスピンオフ後Appleに買収されています。今回XeroxはPARCの研究リソースをSRIに移管することになりますが、協業プログラムを通じて関係を継続するそうです。

1975年から使われている現在のPARCのオフィスは、パロアルトの中心部から少し離れた小高い丘にひっそりと佇んでいます。敷地内に起伏があるため、外からは建物があるかどうかも分かりにくい構造になっています。実はこのPARCのオフィスは、私の通勤経路にあり、出社するたびに車で目の前を通過しているのですが、あまりにも存在感が薄いため、長い間ここがPARCだと気づきませんでした。ある日、PARCと書かれた看板を見つけた時には「おお、ここがあのPARCだったのか」と思わず声が出てしまいました。

SRIへの寄贈が発表された翌日、PARCの様子を見に行ったのですが、いつもと変わらずでした。入り口の看板には、PARCの名前の下に「A Xerox Comapny」と書かれています。いつかこの看板が変わる日が来るのでしょうか。

▲Coyote Hill Road側入り口のPARCの看板

▲オフィスの建物は緑が生い茂っていて貫禄を感じる

さてPARCのオフィスはひっそりとした感じですが、Computer History MuseumではPARCは一際目立つ存在です。PARCを紹介したスペースがありAltoの実機がどんと置かれています。一見すると単なる古い縦型モニターのパソコンのようですが、今のパーソナルコンピュータのスタイルを実現するきっかけとなったAltoです。多くの人が足を止めてじっくりと見ていきます。

▲Computer History Museumに展示されているAlto(机の下にあるのがコンピュータ本体)

残念ながら電源が入っていないため、WYSIWYGを実現したGUIは見ることはできませんが、GUIを表示するために開発されたモニター、キーボード、そして3ボタンのマウスが置かれています。左側にあるのは5つのキーを持つコードキーセットというもので、複数のキーを押しながらブートボタンを押すことで、どのセクタからブートさせるのかを指定するものだそうです。

多くの展示がショーケースの中に入っているのに対して、Altoは木製の机を使って展示されていることに注目すべきでしょう。それまで大型のメインフレームをターミナルから操作していたものが、パーソナルコンピュータとなりオフィスの個人の机に置かれるという大きな変化を表しています。

▲Computer History Museumに展示されたAlto。机の下にあるのが本体

奥にはAltoよりも前に作られたマウスのレプリカも展示されていました。当時のSRIでDouglas Engelbartが考案したマウスを、Bill Englishが1964年にプロトタイプとして作ったものだそうです。Bill Englishは1971年にPARCに移り、Altoのボール式3ボタンマウスの開発を行いました。こうして見ていくと当時のPARCとSRIは場所が近いだけでなく、研究テーマも関連性が高くSRIの影響を大きく受けていることがわかります。

▲左がBill EnglishがSRIで開発したマウス。右はParcでAlto用に開発したマウス

Alto誕生50周年記念イベント

Computer History Museumで開催されたAlto誕生50周年記念のイベントには、数百人規模の参加者が集まっていました。司会者が冒頭で以前にAltoを使ったことがある人は会場にどれくらいいるか尋ねると、ざっくり100人くらいの人が手を挙げていたと思います。参加者の多くは当時Altoの開発に携わっていた人、大学や研究機関などで実際にAltoを使っていた人のようです。

Xerox側でPARCを支えてきたJohn F. Shochが司会となり、当時PARCで研究者であったButler LampsonとCharles Simonyiが会場から、そしてAlan Kayはビデオ出演で50年前の当時の様子を振り返りました。

Butler Lampsonは、1970年にPARCの創業メンバの一人として加わり、Altoをはじめめ多くの研究開発に携わっています。その後はDECのSystem Research Centerを経て、Microsoft Researchに移りTechnical Fellowとなりました。

Charles Simonyiは、PARCでAltoで動く最初のWYSIWYGのワープロBravoの開発を行った後、Microsoftに移りWord、Excelなどのアプリケーション開発を立ち上げた第一人者です。また2007年と2009年に宇宙ステーションISSへの滞在を実現していて、民間人でありながら2度の宇宙旅行を経験した人物としても知られています。

彼らはPARCの創業からAltoやBravoの開発当時の思い出を語りましたが、これらは全て70年代前半の話です。Altoというと、AppleのSteve JobsがPARCを訪問してデモを見たのがきっかけでAppleのLisaやMacintoshが誕生した話が有名ですが、この訪問は1979年なのでAlto誕生から6年も経っています。

話の途中で「MAXC」というコンピュータの名前が何度も出てきました。最初「Mac」と聞き間違えていて(マックスと発音)、Apple Macintoshは80年代のはず?と頭が混乱しましたが、70年代初めにParc内で開発されたタイムシェアリングのコンピュータで、Multiple Access Xerox Computerの略称ということでした

1969年にXeroxはコンピュータ事業に参入するためにSDSを買収していました。PARCでは研究用に当時主流だったDEC PDP-10を購入したかったのですが、SDSの競合製品にあたるため社内で理解が得られる見込みがなく、替わりにMAXCを開発。このMAXCのハードウェアを開発をしたのがChuck Thackerで、彼がMAXCで得られた知見を生かすことで、Altoの実現が可能になったと言っていました。Chuck ThackerはDECを経てMicorsoft Researchに入り、2017年に他界しています。

Alan KayはPARCの創業メンバーの一人Bob Taylorのことを熱く語りました。ARPAからきたBob Taylorは優秀な研究者の採用に尽力しただけでなく、研究者のチームをまとめるのに長けていてPARCに素晴らしいカルチャーを構築こと、そしてこうした素晴らしい創業メンバーに恵まれたことがPARCを成功に導いたと述べています。

またAltoについては、マイクロコードを知らなくても、研究者たちがプログラミング言語を使ってAlto上で自由に新しいコンピュータのアイデアを試すことがでるようになっていたため、Altoは将来のコンピュータを開発する試みではなく、将来のコンピュータを開発するため作られた当時のコンピュータであったと述べています。また現在のコンピュータやスマートフォンはAltoよりもはるかに処理能力が上がったものの、まだまだこれを使い切れていないことを指摘していました。

▲左からJohn F. Shoch、Butler LampsonそしてCharles Simonyi

▲Alan Kayはビデオで登場しPARC及びAltoの思い出を語った

今回は1月のApple Lisa 40周年のようにお祝いをする楽しい会だと思って参加したのですが、真面目にParc開設からAlto誕生までのコンピュータの歴史を学ぶ機会となりました。またPARCのAltoと言われるとAppleとの関係を想像してしまうのですが、当時のコアメンバーは後にMicrosoftで活躍された方が多いという事実も新たな気づきでした。このような機会を提供してくれるComputer History Museumはやはり偉大だと思います。

実はこのイベント、第二部が続きます。50年前にAltoができた時代を振り返った後は、ChatGPTで注目されているOpenAIのチーフサイエンティストを迎えて、これからの未来をどうなるのかが議論されました。あまりに時代が飛躍し過ぎて、頭が混乱してきたので、第二部は後編で書く予定です。お楽しみに。

《五島正浩》

五島正浩

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