Disney+ でマーベル新作シリーズ『Secret Invasion』の配信が始まりました。
シークレット・インベージョンは、サミュエル・L・ジャクソン演じる「アベンジャーズの生みの親」ニック・フューリーが、姿を自在に変え人間社会に浸透する宇宙人スクラルによる地球侵略計画に立ち向かう作品。
Disney+ のマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)実写シリーズ第八作として、またサミュエル・L・ジャクソン主演作として待望の作品ですが、オープニングクレジットの映像にAI生成動画を使用したことで、人間のアーティストの仕事をAIにやらせている、ディズニーは人間のクリエーターにリスペクトがないのか、雇用を奪うのか等々、ソーシャルメディアやブログ等で一部から非難が集まる事態になっています。
Secret Invasion は誰が密かにスクラルに入れ替わっているのか、敵か味方か分からないまま進行するスリラー作品。人間そっくりに化けられる、つまり擬態シーケンス以外は人間の俳優がそのまま演じられるため、TVシリーズの予算にも優しい企画です。
配信された第一回は、ニック・フューリーやエージェント・ロス、マリア・ヒル、人間に友好的なスクラルのタロスなど、これまでのMCU映画やドラマシリーズでおなじみのキャストが集結。地球を新たな母星として乗っ取る武闘派スクラルの組織と陰謀が明らかになり、新キャラクターの導入や緊迫感あるアクションも展開する豪華な内容でした。
しかし、思わぬ反発を受けたのはオープニングの映像。絵画調のニック・フューリーや主要キャラクターが、コマごとに輪郭が曖昧になるアニメーションで描かれ、溶けるように新たなシーンに切り替わるエフェクトも使われています。
以前ならばアーティスティックなCG表現として称賛こそあれ非難されることもなさそうな映像ですが(作品テーマにあわせて不気味でグロい、不安を誘うという意見を別にすれば)、しかし2023年半ばの現在では、画像生成AIに前のコマを与えて生成を繰り返すことで、ぐにゃぐにゃと変形しつつ構図まで溶けるように変わってゆく表現はさほど珍しいものではなく、むしろ典型的なAI生成動画として認識されるようになっています。
画像・映像に限らず生成AIは新しい技術であるだけに、使われかたに対して様々な懸念があり、特にAIで人間のアーティストの雇用が奪われるのではないか、企業がこれまでは人間に発注していた仕事をAI生成で済ませるのではないかとの不安の声は代表的なひとつです。
SNSでの反応でも、アーティストが創業したクリエイティブ企業であるディズニーがAIを使うとは何ごとか、Disney+ を解約してボイコットすべしと強い口調のものもあります。
もちろん、「SNSの反応」は何をピックアップするかで何とでも変えることはでき、AIと無関係に以前からMCUやディズニーに強い不満を抱いているユーザー、他のAI悪用事例に対する怒りからAIと見れば非難反発する層、注目を集めるため極端な表現をしたり何でも「炎上!」にしたがるアカウントも多々ありますが、急速に発展する生成AI技術への不安や反発を背景に、シークレット・インベージョンに対してもソーシャルメディアやエンタメを扱うメディアで少なくない数の反発があったことは観測できます。
このオープニングを担当したのは、VFXを使った映像で知られる Method Studios。トップガン・マーヴェリックやソー・ラブアンドサンダーといった映画や著名ブランドのCMのほか、Disney+ のMCUドラマではロキ、ムーンナイト、Ms.マーベル等々を手掛けています。
Method Studios がハリウッド業界誌のThe Hollywood Reporter に送ったステートメントによれば、Secret Invasion のオープニングは従来の映像制作と同様のプロセスで、複数のアートディレクター、2Dおよび3Dアニメーター、アーティスト、エンジニアが関わった作品。
キャラクターの要素や動きといった特定の効果に既存およびカスタム開発のAIツールを使用したものの、アーティストが使ってきた多数のツールセットのうち一部に過ぎず、アーティストの仕事を置き換えたわけではなく、クリエイティブチームを補完しアシストしたものと答えています。
実際のオープンニングシーンを見てみれば、ディレクターやアーティストをクビにしてAIポン出しでこんなものが作れるわけがないだろ、という高品質な映像作品。むしろAIフィルタを掛ける前のストーリーボードの比率が多く、ぐにゃっと切り替わる効果も数えるほどしか使われていません。
あらゆるものが手作業でも描けなくはない以上、さまざまなツールを使ったことによる省力化をもって「アニメーターの雇用を奪った」という表現はできますが、それは特にAIに限定した話ではなく、アーティストの表現力や生産性を上げるツール全般に同じ主張はできます。
スクラルが人間に化ける変身のCG効果も、かつてのハリウッドでは膨大な手間をかけて多数の実物モデルを作り合成でつないで表現していましたが、いまではシンプルな2Dモーフィングから3Dの変形効果まで、よく使われるエフェクトとなっています。
セル画からデジタルへ、ミニチュアからCGのように、映像技術の発展が雇用環境を大きく変えることは事実で、生成AIはこれまでにないインパクトになる可能性もありますが、少なくともシークレット・インベージョンOPについては、分かりやすくAI効果を使ったら「AIが仕事を奪う」懸念の標的になって怒られた事案のようです。
今回の件は、実物を見れば才能あるアーティストやディレクターなしに作れるわけがないことが一目瞭然であるためか、業界内で大きな動きにはなっていませんが、制作スタッフの雇用環境に影響を与えかねない件にすぐさま声が上がるのはある意味ハリウッドの伝統。
現在も進行中で、マーベルやスター・ウォーズを含めハリウッド映画を軒並み延期させているライターズギルドオブアメリカ(全米脚本家組合)のストも、本丸であるストリーミング配信による収益分配率に対する異議とあわせて、ChatGPTなど生成AIのトレーニングに組合員の作品を使わないこと、脚本等の執筆や改稿にAIを使うことを規制し、リサーチやアイデア段階にのみ使用すること等を求めています(却下されてますが)。
余談ながら、ハリウッドでこうした大規模なストが繰り返される源流を辿れば、他ならぬディズニーの創業者ウォルト・ディズニーが、『白雪姫』前後で従来はアニメーターに支払っていた成功報酬を反故にしたり、その収益で建てた新社屋では幹部スタッフだけが使える専用ジムやレストランやサウナ等を揃え、それ以外のアニメーターの待遇に極端な格差を設けたことがあります。異議を唱えたスタッフを大量解雇したことから1941年には約4か月にわたってストが続き、最終的にはディズニー側が譲歩したことで、ある意味緊張感のある労使関係が現在まで続く理由のひとつになりました。
シークレット・インベージョンはDisney+ で初回エピソードが配信中。これまでのマーベル作品のストーリーにあまり馴染みがない場合、1990年代を舞台に今作の起源となるエピソードが描かれる映画『キャプテン・マーベル』を先に見ておくことをおすすめします。