デジタルペン技術でおなじみのワコムが、7月12日に設立40周年を迎えた。
今同社がなにをやっているのか、そしてなにを考えているのか。
ワコム・代表取締役社長兼CEOの井出信孝氏にいろいろ聞いてきたので、特にクリエイター向けのお話をお伝えしたい。
▲ワコム・代表取締役社長兼CEOの井出信孝氏。一緒に写っているのは同社の「Wacom Cintiq Pro 27」
自社デバイスは好調、新技術ライセンスビジネスも
ワコムといってまず思い出すのは、いわゆる「液タブ」を中心とするワコムブランド製品だろう。
「これらの事業は好調。ブランド製品群は、すでにいくつか新製品も出していますが、他のラインアップも、今年度から来年に向けて刷新していきます」(井出社長)
昨年秋発売の「Wacom Cintiq Pro 27」も、想定を少し超える形で売れているという。
個人向けにももちろん売れているが、伸びているのがアニメスタジオなどのプロ向け。
そこではコロナ禍以降、リモートでの制作環境も必要になってきているという。要はアーティストの自宅から会社のサーバにアクセスし、そちらにあるツールやデータを使って制作する体制だ。
セキュリティや動作環境の面では望ましいものだが、ネット越しだとどうしても問題になるのが「遅延」。要は、ネット越しに操作するので、ペンを動かした後に線が表示されてしまいがちだ。アーティストにとってはやりづらいことこの上ない。
そこでワコムは、「ネットワーク越しでも遅延を減らす技術」を作った。サーバとクライアント側で「ペンの動きを優先的にやり取りするパイプ」を作って通信することで、リモートでも快適な環境を実現したのだ。どんな感じかは、以下の動画を見ていただくのが近道だ。けっこうな違いなので驚くだろう。
▲リモートでペン作業をしても遅延が発生しづらい技術を開発
こうした技術は、「エヴァ」などでおなじみのカラーなどの協力で開発が進められたという。
ポイントは、こうした技術にはワコムの新しいビジネスモデルも関わっている、ということだ。
ワコムというとハードウェアの会社というイメージが強いが、実際にはペンに関わるハード+ソフトの会社である。上記のような遅延低減技術はまさにソフト。そうしたものの中には、誰もが使うわけではないが企業にニーズが高いものもある。
「そうした部分は企業にライセンスし、企業内で使うユーザー数に合わせて課金していくモデルを考えている」と井出社長は話す。
教育向けのペン技術でも、Z会と組んでタブレットを作るなどの展開が行われている。こちらでは「手書きの回答から、どこで生徒が戸惑ったか」を可視化する技術が導入された。この、記録されたペンの動きから「なにか」を見つけ出すソフトウェア技術も、ワコムがライセンス供与を広げたいと考えている領域である。
▲Z会の中学生向け教材で採用されている技術。タブレットにペンで回答するとその内容が記録され、戸惑った部分が「紫」で可視化される
なお、同社のペン技術を「家」に組み込んでしまうデモもあった。詳細は以下の動画を。
▲大黒柱にワコムのペン技術を埋め込み、実際には木に跡を残さず、家族へのメモなどを書き込める
あのデバイスも「ワコムのペン」
ワコムブランドの製品と同様、いや、より多くの人が触れる機会が多いのが、サムスンのGalaxyなどに代表される、他社製品に搭載されたデジタルペン技術だろう。
▲PCなどには広くワコムのペン技術が採用されている
こちらも広がりを見せてはいるものの、「昨年はコロナの反動もあって少し厳しかった」(井出社長)という。コロナ禍ではリモートワークと教育向けに、一気にペンを搭載したPCやタブレットの需要が拡大したものの、コロナ禍自体の落ち着きで反動が出たそうだ。
ただし、教育用も含め、ペン自体のニーズは順調。特に最近伸びが目立つのが、電子ペーパーを使い、メモができるタブレット型の端末だ。
▲電子ペーパーをディスプレイに使い、ワコムのペンで手書きできるデバイスが拡大中
「もちろんPCに数は及ばないけれど、かなり好調に伸びている」と井出社長は話す。
この種のビジネスは技術とデバイスとの提供、という性質上、「どの製品にどこの会社の技術が採用されている」かを公式に話せない場合も多い。
噂では、ある世界的な大手の出している電子ペーパー採用・メモ機能搭載の大型デバイスも、ワコム製のペンを採用しているとか……。
VR用ペンやブロックチェーン応用技術も
今後の領域として同社は、ソフトウェアを活用した部分を重視している。
以前からいくつものプロジェクトが走っていたが、その進捗も公開された。
VR/AR向けには、以前から開発中だった「VR空間向けペン」が、「ようやく最終的なところまできた」(井出社長)と話す。もちろん仮想空間内で線をかいていけるわけだが、本物のワコムタブレットを持ちつつ、それを仮想空間内にも持ち込んで画板のように使って絵を描くとか、描いたものを空間内に配置して「立体物への注釈」のように使うなどの方法論が示された。
▲ワコムが開発中のVR向けペン
▲VR空間の中で線をかけるのはもちろん、「ワコムのタブレット」を持ち込んで作業することも可能
ブロックチェーンを使ったプロジェクトもある。ただし、いわゆるNFTではない。
「Wacom Yuify」というプロジェクトだ。CLIP STUDIOでお馴染みのセルシスなどとの共同プロジェクトで、詳細は以下の動画からも見られる。
簡単に言えば「制作した画像について、その来歴を残す技術」。画像をメッシュに区切ってそこに含まれるデータをブロックチェーン上に記録していく。部分を切り出しても元のクリエイターなどがちゃんとわかる仕組みになっているという。アーティストの権利を守って作品を使っていくには重要な仕組みだ。
▲左の絵をメッシュで分割、その内容から来歴・制作者情報をブロックチェーン上に記録する「Wacom Yuify」
描線・軌跡からアーティストの感情を再生する「KISEKI ART」
もう一つ面白い試みが「KISEKI ART」。
▲絵を描く過程をストローク単位で記録、特徴量を解析して可視化する「KISEKI ART」
こちらも詳細に関するセッションのビデオがこちらにある。
これは簡単に言えば、アーティストがペンで描いていくストロークを全て記録し、その動きや時系列などを解析していくことで、作品に込められた想いや感情も可視化できるのではないか……という試み。解析には深層学習を得意とするプリファード・ネットワークスが協力している。どんなふうに動くかは、井出社長の説明動画をつけておくので、そちらをご覧いただきたい。
「すごく面白いことがあって」と井出社長は話す。
「アーティストの方に、自由に絵を書いてもらった場合と、絵を模写していただいた場合、それぞれでKISEKIを記録したんですね。すると、出てくる絵紋(KISEKI ARTで解析した結果出てくるグラフィックのこと)が、同じ人だと似た形になったんです。一方で、同じ題材を模写しても、他人同士だと絵紋は違う」(井出社長)
すなわち、書いている時の流れや感情のようなものはやはり属人的なものがあって、同じような絵であっても人によって違う……ということのようだ。
さらに言えば、生成AIで描かれた絵には、当然軌跡も絵紋もない。人が描いたものとは別、というところが明確になるわけだ。
井出社長は、「とはいえ、生成AIを否定するつもりはない」とも言う。
「結局は、アーティストの皆さんの筆入れに道具が1つ追加されるようなものですから」(井出社長)
ごもっとも。
歴史をまとめたブックレットも制作
ワコムは40周年を記念して、同社の歴史や考え方をまとめた「STORY BOOK」を制作している。今回取材後に1冊いただいたが、中身も充実していて面白かった。
▲WACOM STORY BOOK
紙バージョンは非売品なので、皆さんの手元に……というわけにはいかない。だが、PDF版はこちらから読むことができる。ペンタブレットマニアな方はご一読を。