Google は、批判を受けていたGemini AIのコマーシャル『Google + Team USA − Dear Sydney』を放送から取り下げました。
問題のコマーシャルはパリ2024 オリンピックにあわせた米国向けの内容。
陸上選手シドニー・マクラフリンに憧れる小さな娘を持つ父親の視線から、シドニーを超える選手になるという娘の夢を叶えるため、 Gemini になんでも相談する内容です。
競技にあわせたトレーニングのコツをGeminiにまとめさせる等の部分はCMとして妥当な範囲内ですが、議論を呼んだのは幼い娘がマクラフリン選手に宛てるファンレターの文面を父親がAIに生成させる場面。
プロンプトとしては、娘がマクラフリン選手に憧れていることを伝える手紙を書く手伝いをしてください、いつかマクラフリン選手の世界記録を破るつもりだと含めることを忘れずに、といった内容。
(あくまでCM上の表示では「Help my daughter write a letter telling Sydney McLaughlin-Levrone how inspiring she is and be sure to mention that my daughter plans on breaking her world record... one day. (She says sorry, not sorry.」)
対する Gemini の回答は、LLM(大規模言語モデル)を用いた会話型AIの挙動からおおむね予想されるように、極めて類型的なファンレターの文例。
Dear Sydney から始まり、あなたがどれほど励みになっているかお伝えするためこのお手紙を書いています等々。
あまりにも「いわゆる」ファンレター文面の典型でありすぎることを別にすれば、文面自体に特に問題はありません。
(CMの演出なので、Geminiの回答は冒頭しか映らず、これを受けてどんなファンレターになったまでは含んでいません)
NBCのオリンピック中継で繰り返し放送される露出の多さも手伝って、放送直後から米国内では非常に大きな反響、特に反発がありました。
代表的なものは「そこはAIに書かせるところか?」。小さな子どもから憧れの選手に送るファンレターであることを考えれば、定型的であることが求められるビジネス文や実務的な翻訳などとは違い、誤字や文法の間違い、定型的でない文があったとしても、本人が書いたこと自体に意味があるのであって、AIが無数の例から生成した「典型的なファンレター文」を参考にするのは手段と目的が転倒している、仮に草稿や叩き台にしてもスタート地点がおかしいといった内容です。
さらに反発を強めたのは、このCMが父親の視点から描かれていること。短いCMとあって具体的な文脈には触れていないため、ファンレターを送る経緯や父親がAIを使うまで、使った後の流れを視聴者が補完して擁護はできなくもないものの、CMで描かれた範囲をそのまま見るならば、父親が幼い娘にAI生成の「ファンレター文面」を与えていることになります。
これに対して、親として尊重すべき子どもの自発性はどこにいった?自分で書いた文面を良くしたいと子どもが相談したならそれをGeminiに与えるべき、仮に子どものほうからどうしても書き始められないと相談を受けたなら、まず親として自分の言葉で書いて良いこと、書き方を対話して伝えるべきであって、スタート地点としてAI生成のテンプレ文例を渡すのはどうなのか?Googleはそうした親像を良しとして自社テクノロジーで推進するのか?と、反発があるのもまあ無理はありません。
このCMについては、SNS等での反応を超えて、主要新聞を含む大小のメディアからも論説やコラムのかたちで、最近のAIプッシュに対するコメントを含めて批判的な反応が多数ありました。
批判や、反発を報じる記事はたとえばこちら。The Washington Post / NPR / AXIOS / Why Google’s "Dear Sydney" Ad Makes Me Want to Scream | Shelly Palmer / CBS News
Googleはこうした状況を受けて、オリンピック放送のテレビCMからこのDear Sydneyを外す判断をしました。
この判断について、Googleのステートメントから引用抄訳すれば「(われわれGoogleは) AIは人類の創造性を強化する素晴らしい道具になると信じていますが、取って代わるものでは決してありません。
(CMの) 目標は、米国代表選手団を称える本物の物語を伝えることでした。(略) CMは文章のアイデアを求めている人にとって、Gemini アプリが叩き台や最初の草稿を提供できることを示す内容です」。
(「AIに作文の手伝いをさせること」まで単純化すれば、いわゆる作文教育で苦労した経験から「思ったことをそのまま」と言われても書けない、気持ちをそのまま伝えろと言われても書き出せず苦しむ人間はいるのだ、わたしは「自分の言葉」至上主義でつらい思いをした!といった方向の表明もある気はしますが、もし子どもがそこで躓いているなら父親はどう助けるべきか、どうAIを使うかであって、「親がAIに生成させたテンプレ文からファンレターを作らせる」が正解かどうかという話です。
描かれているのは父親の視点でAIに生成させた点のみで、ファンレターがどう始まったのか、子どもが書きたがったのか、文面はあったのか、子どもから助けを求められたのか否か等はCMのストーリーに含まれていません)
反発が多かったためテレビCMとして取り下げたものの、YouTube上では現在も公式で配信しています。
Gemini やChatGPTに代表されるLLMベースのチャットボットは、言うまでもなく非常に強力なツールで、特性を把握したうえで活用すれば、生産性向上に無類の威力を発揮します。
一方で、ほとんどあらゆる問いかけに、正確性や論理性の保証なくすらすらと回答を生成できること、一見したところでは首尾一貫した「それらしい」文章を生成できてしまう能力から、文章生成は人間だけの能力であることを前提とした試験などの仕組みや、流暢に喋る存在に対する人間側の期待値との齟齬からさまざまな問題が起きていること、AIに対する期待と同時に不安が高まっていることも事実です。
そうした意味では、今回のGoogle によるGemini AI のコマーシャルは、「小さな子どもが気持ちを伝えるファンレターに、親がAI生成の文例を渡す使い方はどうなの?」と広く視聴者に違和感を与え、Geminiになんでも相談するのも考えもの、とAIの使いどころについて考える切っ掛けになったという意味で、Googleの意図に反して大きな教育的効果があったといえるかもしれません。