アップルの「Vision Pro」が発表になった。筆者は実機を体験している。現状、Vision Proを体験した人間は、アップル社員以外では日本全体で10人以下しかいないという、貴重な体験だった。
▲Vision Pro。3500ドルとお高いが、それだけの価値ある体験だと感じた
いくつか記事も書いたが、Vision Proの体験は「すごい」。現実との境目が非常に曖昧だ。
過去の拡張現実(AR)デバイスは、現実を拡張するものとは言いつつも、現実とはずいぶん差のある表現しかできない。「現実と錯覚してしまう」ような自然さはなかった。だが、Vision Proはついに「自分が生成された映像を見ていることを忘れる瞬間がある」世界に到達した。
それはなぜだろう?
SNSなどの反応を見ると、「片眼4Kのパネルを使っているから」的な理解が多いように思う。
それはひとつの理由ではあるのだが、ちゃんと事情を反映していない。
Vision Proに限った話ではない。
ヘッドマウント・ディスプレイ(HMD)での「自然な見え方」を評価する上での仕組みやスペック表記については、ちゃんと知見が共有されていないように思う。
今回はその部分の基本について、ざっくりと解説してみたい。
※この記事は、毎週月曜日に配信されているメールマガジン『小寺・西田の「マンデーランチビュッフェ」』から、一部を転載したものです。今回の記事は2023年6月12日に配信されたものです。メールマガジン購読(月額660円・税込)の申し込みはこちらから。コンテンツを追加したnote版『小寺・西田のコラムビュッフェ』(月額980円・税込)もあります。
「解像感」=PPDとはなにか
我々がディスプレイの話をする時には「パネルの解像度」の話をすることが多い。製品のスペックとしては、搭載されたディスプレイパネルの解像度を語るのは当たり前なので、まあ、間違ってはいない。
だが、実際に我々の目に「どう見えるか」を考えると話は変わってくる。
ノートPCの画面を見ているとしよう。目に入ってくる映像の「細かさ」は、実際にはパネル解像度だけで決まるわけではない。目との距離や視野のどれだけを覆っているかで「解像感」が決まる。
▲ノートPCを見ている時のイメージ。目に入ってくるディスプレイとの関係はこんなところだろう
ただ、ノートPCならディスプレイと目の距離にはそんなにバリエーションがない。
話をテレビに置き換えるともう少し別の側面が見えてくる。
近い距離で小さく・低い解像度のテレビを見た時と、遠い距離で大きく・高い解像度のテレビを見た時の「目で感じられる解像感」は近しくなる時がある。遠くのものは小さく・ぼんやりと見えてしまうので、当たり前といえば当たり前の話だ。
▲テレビを遠くで見る時と近くで見る時では、感じられるサイズ感や解像感が変わる。当たり前に見えるがこれが大事
だが、実はこれが重要。ディスプレイを「視界の一部を自由に書き換えるもの」だと考えると、目で感じた時の解像感が実際にはどうなのか、というのが重要になる。
目とその中の網膜、そしてディスプレイの関係をざっくり表すと次のような図になる。ここで「網膜にどのくらいの細かさで映像が映るのか」が、ここまで書いてきた「解像感」である。
▲目に入ってくる映像がどう「見える」のかの模式図。外の風景は目のレンズ(水晶体)を通って、目の中の「網膜」に投射される。ここで網膜が感じる細かさが「解像感」
いわゆる「視力」も、この解像感を数字で表したものだ。
視力は、一定の規格で測られた「最小の視角」の逆数で表される。視力測定でお馴染みの「ランドルト環」には切れ目があるが、あの切れ目の幅は、5m離れたところから見た場合に「1分(60分の1度)」になるよう定められている。
すべての環の切れ目の幅は同じ角度=1分となっているが、視力1.0用は視力0.5の半分のサイズ、視力2.0用は視力1.0の半分のサイズになっていて、より「把握できる解像感が高い」ということになる。だから「遠くのものでも見える」という話になるのである。
「目にどれだけ細かく見えるか」という話は、すべてこれが基本だ。
本来は「見るものとの距離」「見るもののサイズ」も重要なのだが、現実世界にあるディスプレイについては、用途によってみる距離がだいたい決まっているので、ディスプレイパネルの解像度を比較しておけば解像感もだいたい間違いなくわかる……という話なのである。
解像感を示す単位の1つに「PPD」がある。
Pixel Per Degreeの略で、視野1度の中にどれだけドットが入っているかを示すもの。印刷におけるDPI(Dot Per Inch)、ディスプレイにおけるPPI(Pixel Per Inch)と似た考え方だが、前述のように「視野の中での解像度」を示す必要があるので、面積・長さでなく視野の角度で表しているわけだ。
HMDやスマートグラスでは「何m先に何インチの画面」という表現がされる。
だが、これはあまり意味がない。
前述のように、見え方はディスプレイデバイスの解像度とレンズ設計の組み合わせで決まる。
結果として「サイズと距離」は、どう感じられるのかという相対的な話になる。設計上の狙いはあるだろうが、実際にどう感じられるかは人によって異なる。周囲が全部真っ暗な状態で、「遠くにある高解像度大画面」と「近くにある低解像度小画面」を比較しろ、と言われても困ってしまうだろう。
どんなに大きなディスプレイに感じられても、解像感が伴っていなければ大きな価値を持たない。
VR用HMDは「視野角」重視
では、これがHMDになったらどうなるだろう?
普通のディスプレイとは話が変わってくる。
HMDの構造は、ざっくりいえば次のような画像。目の近いところにディスプレイを置いて視野を覆い、現実の視界を映像で置き換える。
▲HMDのざっくり構造。ディスプレイの映像をレンズで拡大して目に届ける
これを前述の「解像感」で語ろうと思うと、一般的なディスプレイとは話が変わってきてしまうのにお気づきだろう。ディスプレイが目の前にある場合、同じ解像度のディスプレイパネルでも、同じ「解像感」では語れなくなるのだ。
さらに面倒なのは、ディスプレイパネルの「サイズ」や「目の間にあるレンズ」で話が変わってくる、ということだ。
Meta Quest 2やPlayStation VR2のようなゲームを主軸としたHMDの場合、没入感を重視し、できるだけ視野の広い面積を覆うことを目指す。いわゆる「視野角(Field of View、FoV)」というスペックは、視野のどれだけを覆うかを示したものである。本当は、視野の上下(垂直)と左右(水平)それぞれを示すべき数字なのだが、VR関連ではほぼ「水平視野角」の話をしている。
FoVを広げるには、面積の広いディスプレイで視界を覆うのが近道。目の前にスマホがある、と思えばわかりやすい。
とはいえ、ただ目の前に置いただけではピントが合わないので、レンズを置いて調整する。この際に魚眼レンズ的に画角をさらに広げると、FoVがディスプレイサイズ以上に広くなり、没入感が増す。
これがいわゆるHMDの構造だ。
ただ、FoVを広くするために大きなディスプレイ+レンズという構造を採ると、今度は解像感が落ちやすい。先ほど挙げた、テレビの距離とパネル解像度の話を思い出していただければいいだろう。ディスプレイパネルの解像度が高くないと、解像感は得にくくなっていくのだ。
かといって、ディスプレイ技術には限界がある。片眼を覆うサイズの8Kパネルは非常に高価なものになる。またそれを処理しようにも、コンピュータ側の性能が追いつかない。
というわけで、一般的なゲーム向けHMDでは、解像感よりもFoVを重視した設計が行われている。
PPDは公式スペックに表記されていない場合もあるが、Meta Quest 2やPlayStation VR2は19から20前後と言われている。
PPDを人間の視力に換算すると、PPD20で視力は「0.3」くらい、55で「視力1」に近いとされている。
限られたコストの中で「視野を広げた機器」を作るために、ゲームを志向したHMDは、PPDよりもFoVを優先にしているわけだ。
現実に近い「解像感」を目指してトレードオフ
ここで話をVision Proに変えてみたい。
Vision Proは現実に近い体験ができた。
その理由の1つは、HMDから見えている世界の解像感がとても高い、という点にある。現実とまったく同じ解像度、とは言わないが、十分に現実感を感じられる解像感があった。これは筆者の想像だが、PPDはかなり高く、「視力1よりも少し低いくらい」が実現できていたのではないか、と思う。
アップルは「片眼で4Kテレビ以上の解像度をもち、両眼で2300万を超えるドット数」としている。ということはおそらくだが、片眼で4K×4Kの正方形に近く、サイズが小さな「マイクロOLED」を使っているものと想定できる。元々の解像度(いわゆるPPI)が高ければ、それを拡大した場合にも、目に感じる解像感(PPD)も高くなる可能性は高い。
▲アップルはVision Proのディスプレイが「2300万ドット以上」としているが、ドット数だけで全てが決まっているわけではない
▲ソニーが2021年に開発した、片眼4K程度・1インチサイズのマイクロOLED。アップルが採用したのはこのディスプレイではないか、と予想されている
ただそうすると、今度はレンズと視野角の問題が出てくる。
広いディスプレイの視野をレンズで少し広げるのは、そこまで難しいものではない。また、レンズとディスプレイ、さらには目までの距離も問題になる。
以下は、Metaが昨年6月に公開した研究発表から引用したものだ。左側が一般的なレンズ、中央がQuest ProやMeganeX(Shiftall/Panasonic)で使われている「パンケーキレンズ」、右が開発中の「Holocakeレンズ」を使った場合の模式図である。光を目に届けるまでの方法が変わるので、ディスプレイから目までの距離が短くなる、HMDが小型化・軽量化できる。
▲Metaの発表資料から抜粋。レンズの構造によって、ディスプレイから目までの距離は大きく変わる
Vision Proもパンケーキレンズを採用しているようなので、中央に近い構造だろう。
ただこの際も、トレードオフが存在する。
解像感重視の設計にするとFoVを広げにくく、周辺部が暗くなりやすいのだ。レンズ自体のコストも上がる。
Vision ProのFoVは90度程度であり、ゲーム向けのVR機器に比べ狭い。高い解像感を維持するための選択だろう。
2022年6月にMetaが公開した試作機「Butterscotch」では、視力1.0相当=PPDで55を実現するため、FoVを70度まで絞ったそうだ。結果、以下のように大幅に見やすい状況を実現している。
▲Metaの発表資料より。PPD20前後のQuest 2は視力0.3(アメリカ表記で20/60)、試作機の「Butterscotch」で視力1.0(同20/20)を実現しているが、FoVは70度まで落ちた
こうしたことからお分かりのように、HMDではさまざまな組み合わせの中で、製品の特質にあった組み合わせを選ぶ必要が出てくる。
おそらくはアップルも、ディスプレイデバイスやレンズ選択でさまざまな「決断」をしたのだろう。その結果として、クオリティ面で隔絶した体験を実現できた一方、3499ドルという価格になったのだ。
現状、PPDやFoVという指針はあるが、それでHMDの快適さをシンプルに測ることはできない。人間にどう感じられるかを表現しきれないからだ。
いつか、統一的な表記方法ができるかもしれない。だがそれまでは、「機器の特質によって見せ方が違う」ことを覚えておいていただければ、と思う。
西田さんがApple Vision Proを語るオンライントークイベントが、今週末にあります。奮ってご参加を。